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丹後と織物にまつわること

丹後産地は我が国最大の絹織物産地で現在、日本で生産される和装用白生地織物(きものの生地)の約60パーセントを生産しています。また京都・西陣の生産基地として帯、ネクタイ、インテリアなど先染織物の製織や、永年にわたり培った丹後ちりめんの技術を活かし、帯揚げ・半襟・風呂敷・ショール・スカーフなどの小物織物、広巾織機を使いシルク服地・ポリエステル服地・その他シルク、ポリエステル、レーヨン、ウールなどを複合させた服地を製織しており、和装・洋装問わず、織物素材総合産地として日々プレゼンテーション活動を行っております。これら丹後で製織された織物は、組合の直営工場などで加工され、厳しい検査体制のもと品質の保持・向上がなされ、京都・室町を中心に全国の集散地へ販売されています。また、織り技術の向上は勿論のこと、織物の機能性・市場性を高めるための研究・開発を行うと同時に、丹後産地で生産された様々な織物を一堂に展示発表する催事を、一年に一度京都市で活発な商談の場として開催しています。そして丹後産地では現在、付加価値を高める取組として、シルクがもつ欠点を補うための防縮加工(ハイパーロック)、耐スレ加工(ハイパーガード)、黄変防止加工(サニーライク)、防菌・防臭加工(ハイジ加工)など様々な特殊加工を組合直営工場において織物、素材に施すとともに、無地染めを中心とした染色加工、丹後の染色家による友禅染めがなされています。 丹後産地は「最高級の織と染の総合産地」としてさらなる飛躍をめざしています。

絹のはじまり
絹の生産は紀元前3000年頃の中国で始まっていた。古代の中国から絹糸は陸路と海路で、インド ペルシャ等に伝わって行き、 6世紀に絹の製法はヨーロッパ方面に伝わって行きました。その時代中国絹の品質は高く、依然として貿易の重要な交易品であったようだ。 日本には弥生時代に絹の製糸法は伝わってきて、1900年代始めには、日本の生糸生産量は世界最高となったと云われていました。 日本では鎖国が終りをむかえ幕末の開港後は、絹が日本の外貨獲得の重要な輸出品となり生り得て、後に機械化が発達してヨーロッパ諸国の絹産業に、計り知れない打撃をあたえるほど日本の製糸技術は発達して行きました。

丹後でわ
京都府北部、丹後地方の絹織物の歴史は古く、約1200年も前の奈良時代に、丹後の国鳥取で織られた絹織物が聖武天皇に献上(739年)され、現在でも正倉院御物として残っています。そして、南北朝時代の成立とされる『庭訓往来』をひもとくと、丹後で絹織物(丹後精好)が生産されていたことが記されており、古くから絹織物をこの地で織っていたという歴史が伺えます。また、約280年前の江戸時代の享保5年(1720)、絹屋佐平治らが京都西陣より持ち帰った技術をもとに創織した「ちりめん」が、現在の「丹後ちりめん」の始まりで、その後瞬く間に丹後地方全体に広まったとされ、そして峰山藩・宮津藩がちりめん織りを保護助長し、丹後の地場産業として根付くことになったのです。これに加えて、丹後地方の気候風土は、冬の季節風は雪をともなってきびしく、秋から冬にかけて吹く「うらにし」と呼ばれる(丹後地方ではこう呼んでいます)季節風は、「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるぐらい湿気をともなった雨が降ったり、止んだりする日が続きます。この丹後地方の気候風土が、良質の水、適度な湿度をもたらし、今日現在まで丹後ちりめんを育んできたようです。

【ちりめん】
(縮緬、クレープ織り、仏:crepe)は、絹を平織りにして作った織物。縦糸にはほとんど撚りのない糸を使い、横糸に強い撚りをかけた右より(右回りにねじる)と左より(左回りにねじる)の糸を交互に織ったものである。そのため精練すると布が縮み生地の表面にしぼ(凹凸)が現れる。主に高級な呉服や風呂敷に使われる。主な産地は京都府丹後地方の丹後ちりめんR、滋賀県長浜市の浜ちりめんである。現在、京都府丹後地方では原料の糸を絹から綿・化合繊に変えた丹後ちりめんRも織られている。

【羽二重】
(はぶたえ、英: habutae silk)は、平織りと呼ばれる経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に交差させる織り方で織られた織物の一種。絹を用いた場合は光絹(こうきぬ)とも呼ばれる。通常の平織りが緯糸と同じ太さの経糸1本で織るのに対し、羽二重は経糸を細い2本にして織るため、やわらかく軽く光沢のある布となる。白く風合いがとてもよいことから、和服の裏地として最高級であり、礼装にも用いられる。日本を代表する絹織物であり『絹のよさは羽二重に始まり羽二重に終わる』といわれる。

【歴史】
羽二重は日本では近世から始められたと伝わっている伝統的な織物である。明治10年頃から京都や群馬県桐生などで機織り機の研究が進められ、明治20年頃には福島県川俣、石川県、福井県などで生産されるようになって行く。明治時代、日本の絹織物の輸出は羽二重が中心であり、欧米に向けてさかんに輸出され、日本の殖産興業を支えた。羽二重は国内向けのものと輸出向けのものがあり、輸出されるものは「輸出羽二重」と呼んでいた。
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